(4)欲求の分類−生理的欲求と社会的欲求−

生理的欲求と社会的欲求
   動物は生きるために必要な限られたことしかしないのに、人間は様々な欲求を持ちます。趣味と呼ばれるものがどれだけあるでしょうか。そのほとんどは生きていくうえで必要のないものです(生きていくうえで必要とは言えない活動だから趣味と呼ばれるのですが)。なぜ、人間はそんなに多くの欲求を持つのかを、心理学では社会的欲求や二次的欲求という言葉で説明します。
   心理学辞典(有斐閣)の項目「欲求」には。「欲求は,一次的欲求(生理的欲求)と二次的欲求(社会的欲求)に分けられる。前者は,渇き・空腹・性・睡眠・呼吸・苦痛回避など,生命の維持のために身体的・生理的に必要で欠くことのできないものをさし,後者は,達成・親和・依存・承認・攻撃など,後天的に学習されたものをいう。」とあります。心理学概論書(主に大学生向けの心理学の教科書)でも同様の記述が見られます。例えば、無藤らによる「心理学」では「動機づけ」と題した章において、「人の内部にあって、人の行動を引き起こすものを欲求または動因という。欲求の中でも飢えや渇きによるものや、睡眠、排泄などの生理的欲求は、ある程度誰にも共通しているものであり、人間にとってきわめて基本的な欲求である。」(文献1、p.192)と記し、生理的欲求は一次的欲求とも呼ばれることと一次的欲求が満たされることによって生じる心理社会的な二次的欲求があると述べています。京都大学心理学連合編集による「心理学概論」においては、動機づけを生理的動機づけと社会的動機づけに分け、生理的動機づけの代表として空腹、渇き、性を挙げています。社会的動機づけは「社会的生活経験を通じて習得・学習されたもので日常よく見られ。生理的な要因を除いた動機づけである。」(文献2、p.168)とし、具体例として達成動機づけを挙げています。
   飢え、渇き、睡眠、排泄については身体の仕組みがよくわかっています。また、人間に限らず動物が生きていくために必要不可欠なことです。生理的に規定された欲求、学習する必要のない生まれ持った欲求とするのはたいへんもっともらしい気がします。しかし、本当にそうでしょうか?ここでは、生理的欲求と社会的欲求、一次的欲求と二次的欲求という区分の問題点を説明します。

空腹(飢え)は生理的欲求か
   心理学概論書で最もよく取り上げられる空腹(飢え)を例に考えていきます。そもそもなぜ食欲ではないのでしょうか。ほとんどの心理学概論書には、我々の身体には胃の収縮を感知する仕組みや血液中の栄養分(特にブドウ糖)の欠乏を感知する仕組みがあり、その情報を受け取った脳が空腹感を生み出すといった説明がなされています。栄養といった身体内部の状態を一定に保とうとする傾向はホメオスタシスと呼ばれ、ほぼすべての人に生まれながらに備わった仕組みと考えられています。しかし、「食べたい」という気持ちは身体における栄養分の欠乏だけで起きるわけではありません。空腹感を感じていない時でも、とても好きな食べ物や目新しい食べ物があれば「食べたい」気持ちになります。また、口寂しいので何か食べたいとか、ストレス発散のために食べたいというときもあります。このようなことを心理学者はもちろんわかっているので「人間の摂食行動は、上記のホメオスタシスのメカニズムによって制御されているだけでなく、習慣、嗜好、模倣、心理状態などの心理・社会的要因の影響を強く受けています」(文献3、p.78)として、生理的欲求としているのは食欲ではなく空腹(飢え)なのです。
   しかし、空腹(飢え)を欲求とか動機づけと呼ぶのは、言葉の使い方として変です。「空腹(飢え)」を身体的な様々な不快感の一つとしてとらえるなら、それ自体は欲求ではなく欲求を生み出すための条件と言う方が正確でしょう。我々の身体には、身体の異常を感知して生存のために対処する仕組みが備わっており、その一つが糖分の欠乏による空腹感であることは確かでしょう。しかし、空腹感を感じたときに「食べたい」と思うのは、ご飯を食べたら空腹感が解消したという経験から学習したからではないでしょうか。例えば、頭痛がしたときに痛み止めを飲んで直った経験があるなら、痛み止めを「飲みたい」と思うでしょう。だからと言って、頭痛を欲求や動機づけとは呼びません。
   加えて、空腹(飢え)の生起自体にも心理的な仕組みや学習が関わっています。例えば、食事時刻の空腹感の多くは食事の予測によって起こるのであって、エネルギー欠乏によるのではないようです。学校や仕事場でいつもほぼ同じ時間に昼食を取っている人が昼の食事前になると日々感じる空腹感は、体内の栄養分の欠乏による血糖値の低下ではなく、いつもの食事時間の前になると食事による血糖値の上昇を予測して事前に血糖値が下がるためです(注1)。また、血糖値が下がったからと言って常に空腹感を感じるわけではなく、作業や遊びに没頭しているときは食事時間に気付かず空腹感を感じないときもあります。

社会的欲求は生理的ではないのか
   空腹(飢え)が生まれ持った生理的仕組みにより生起する生理的、一次的欲求と説明するのは、70年以上前のHullの考え方(文献4)によるものですが。Hullは行動主義心理学の影響のもと実験動物のネズミをモデルとして、当時の知見から行動の生起過程をできるだけ法則化して説明しようとしました。歴史的意義は非常に大きいのですが、アメリカの現在の心理学概論書では空腹感を生理的欲求や一次的欲求と呼ぶことはせず、空腹感の生起には生理的な仕組みと心理的な影響の両方が関わっており、また、経験によって大きく変容するものとして説明しています(文献5)。日本の心理学者も空腹(飢え)が経験の影響を大きく受けるとわかっていながら、心理学概論書では旧来の説明をあまり変えずに継承し続けています。結果的に、「食べたい」という欲求自体が生理的仕組みによる身体的なものという印象を一般に広めてしまっています。
   それでは、社会的欲求や社会的動機づけと呼ばれるものは、学習や経験のみによって形成され、生まれ持った生理的仕組みが関わらないのでしょうか。社会的欲求とされるものに親和動機があります。心理学辞典(有斐閣)では、「他の人と友好的な関係を成立させ,それを維持したいという社会的動機のことである。」と定義されています。無藤らによる「心理学」では、人から愛されたい、人を愛したいという気持ちを愛情の欲求と呼び、欠乏動機の一つとしています(文献1、p.197)。空腹や渇きと同様に欠乏するとそれを欲する気持ちが強くなるからです。ただし、生理的欲求ではなく心理社会的欲求とされています。親和動機と共通しているのは。特定の他者と一緒にいると安心してうれしい気持ちになり、一人では寂しくて不安になるという点でしょう。そのような心理になる生理的仕組みは現時点では詳しくわかっていませんが、そのような心理状態になるときのホルモン、神経伝達物質、脳の仕組みも研究されていますし、解明される日も遠くないかもしれません。また、親しい人と一緒にいると安心してうれしい気持ちになる、愛情を求めるという心理に影響する生理的仕組みは部分的には生まれ持ったものでしょう。
   例えば、イヌとネコの違いを考えてみましょう。イヌは「親しいイヌ(または人)と一緒にいると安心してうれしい気持ちになり、一頭では寂しくて不安になる」ように思えます。ネコはイヌに比べて単独行動を好む傾向が強く、一頭では寂しくなる様子はあまり見せません。こういった差は、育ちに違いによるのでしょうか。もちろん育ち方の違いによる個体差はあるでしょうが、ネコをイヌと一緒に育てたからといって、イヌと同じ性質のネコになることはないでしょう。動物において、群れでいることを好むか、単独行動を好むかといった違いは、進化の中で獲得された遺伝的な性格傾向の違いを反映したものです。イヌは品種によって性格が異なりますが、性格の違いに関わる遺伝子を見出す研究も行われています(文献6)。人を含む霊長類(サルの仲間)の群れ生活を送るものが多いのですが、単に集まるだけでなく社会的関わりが活発です。また、他の霊長類から分かれて人類独自の進化の道筋に入ってからも群れで生活していたと考えられています。人は動物の中では「親しい人と一緒にいると安心してうれしい気持ちになり、一人では寂しくて不安になる」という性格傾向の強い種類と考えるのが妥当です。現在の日本の心理学では親和動機や愛情の欲求は社会的、二次的欲求とされていますが、上のような性格傾向の強さが育ちや経験だけで決まるとするのはありそうもないことです。現在はわかっていないとはいえ、親和動機に影響する遺伝子とそれに基づいた神経科学的仕組みがあるでしょう。もちろん、生まれ持った神経科学的仕組みは、親しい他者と一緒にいたいという欲求を生み出す原因の一部にすぎません。それは、空腹を生み出す生まれ持った生理的仕組みが「食べたい」という欲求を生み出す原因の一部にすぎないことと同様です。
   排泄の欲求のように生まれ持った身体的な仕組みが大きく関わっている(とはいえ、ここにも個人差はありますしストレスなどの心理的影響もあります)場合もあれば、達成動機のように育ち方や経験が欲求の生起に大きく影響するものがあるのは確かですが、生理的欲求と社会的欲求、一次的欲求と二次的欲求、というように二分できるものではありませんし、二分することは複雑な行動の生起過程を単純にとらえてしまうという弊害を生んでいるように思えます。

生物学的必要性と欲求
   蛇足になるかもしれませんが、上で述べたことを少し違う観点から補足したいと思います。飢えや渇き、排泄や睡眠が生理的欲求・一次的欲求と呼ばれるのは、それらが人間のみならず動物の生存においても必要なので、当然生まれ持った仕組みとしてあるはずだという想定があるからです。しかし、「(3)欲求を意識するとき」に書いたように、生存のために必要であることと欲求を持つこと(ある行動への動機づけを持つこと)は同じではありません。例えば、川や湖といった淡水に棲む魚では浸透圧の高い淡水が鰓などから体内に入り込んでしまう方が問題であり、できるだけ水を飲まないようにすることが大事なようです。魚にも体内の水分組成を維持するための何らかの行動への動機づけ(欲求)があるかもしれませんが、我々が渇きの欲求として感じるものとは全く別のものでしょう。
   人間に近い分類群、例えば哺乳類に限っても、飢え、渇き、排泄、睡眠の欲求が同じようにあるわけではありません。排泄の欲求について考えてみましょう。身体に必要ないものは体外に排出しなければなりませんが、息を吐く(二酸化炭素の排出)、毛が抜けるといった場合には、必ずしも欲求は必要ありません。排泄の欲求を感じるのは、排泄する場所や状況が限られる場合です。イヌやネコは決まった場所に排泄しようとしますが、より人間に近いサルの大部分の種類は、排泄する場所が決まっているわけではありません。これは、サルは樹上を動き回って生活しているので、糞や尿をどこでしても自分の生活場所が汚れるということがほとんどなく、地面に落ちた糞や尿を手掛かりに捕食者に襲われる危険性も低いためです。サルにも排泄の欲求はあるでしょうが、イヌやネコほど切実で強いものではないでしょう。人間、特に現代社会に住む人間にとって排泄は、サルとは違って、非常に限られた場所(トイレ)と状況(他所に見られない)で行う行為であり、その点ではイヌやネコに近いと言えます。
   一方、排泄において人とイヌで大きく違う点もあります。イヌ、特にオスの排尿は、排出よりも臭い付け(マーキング)の役割が大きいことです。彼らの欲求がどういうものか想像するのは難しいのですが、多くの場所にマーキングするため尿を小出しにすることを思えば、我々の排泄の欲求とはかなり異なるものでしょう。すなわち、水分補充や排泄といった生存に必要な結果をもたらす場合でも、欲求のあり方は動物によって異なっている可能性があります。


引用文献
1   無藤隆・森敏明・遠藤由美・玉瀬耕治 2004  心理学 有斐閣
2   京都大学心理学連合 2011 心理学概論 ナカニシヤ出版
3   長谷川寿一・東條正城・大島尚・丹野義彦 2000 はじめて出会う心理学 有斐閣
4   Hull,C.L. 1943 Principles of Behavior. Appleton-Century-Crofts. 能見義博・岡本栄一(訳) 1960 行動の原理 誠信書房
5  待田昌二 2011 心理学における基本的欲求概念の再検討 神戸松蔭女子学院大学「研究紀要」 52, 83-98
6  村山美穂 2012 イヌの性格を遺伝子から探る 動物心理学研究 62, 91-99

注1    例えば、Pinel(2003)は次のように述べている「食前には、体のエネルギー貯蔵は妥当な恒常性バランスを保っている。したがって食事をとると、流血中に恒常性を乱すエネルギー源の流入が起こる。体は、その恒常性を守るような反応を示す。すぐに食べる徴候がヒトに明らかになると―例えば、普段の食事の時間が近づくと―すぐに体は頭相に入り、血中にインスリンを分泌し血糖を下げることによって、差し迫った恒常性を乱すエネルギー流入の影響をやわらげる措置を取り始める。・・・<中略>・・・食事時刻の空腹感は、食事の予測によって起こるのであって、エネルギー欠乏によるのではない。」(「バイオサイコロジー」西村書店、p.233)


神戸松蔭女子学院大学心理学科   待田昌二
2015年6月