(2)欲求とは何か−心理学の捉え方−

   人は、食べたい、サッカーをしたい、あの服を手に入れたい、といったように「・・・したい」という気持ちになることがあります。この気持ちが強い時に欲求や欲望という言葉が使われます。国語辞典でも欲望は「不足を感じてこれを充足させようと望むこと。また、その心。ほしがること。ほしいと思い望む心。」(国語大辞典 小学館) と定義されています。同じ辞書で欲求は「ほしがり求めること。ある物を得たいと強く願うこと」とされています。欲求・欲望が人間心理を表す言葉であることを思えば、欲求・欲望とは何か説明することは心理学に期待されるべきことのように思えます。しかし、欲求や欲望という語は現在の心理学で正面から取り上げられることはほとんどありません。
   日常的に使われている人の心理を表す言葉が、心理学の学問的文脈では使われていない、あるいは異なる意味で使われていることは多いのですが、欲望という語はその代表的な例でしょう。一応、心理学辞典(有斐閣)にも「欲望(desire)」は見出し語になっており、「何らかの目標を得ようとする際の内的状態。要求ないし欲求とほぼ同義の用語であるが,この状態が無意識的なものではなく,意識されていることを強調する場合に用いられることがある。」と定義されています。この定義なら心理学の用語として使えそうなものですが、「欲望」という言葉は日常場面では社会や人の心の平穏を乱すような負の意味を持つ言葉として用いられることが多いため、少なくとも基礎系・実験系の心理学でこの言葉が用いられることはほぼありません。欲望とほぼ同義とされている要求と欲求はいずれも、英語のneedに対応する言葉です。どちらも心理学の教科書に出てくることがあり、生理的欲求とか生理的要求といったように使われます(文献1)。「要求」の方が英語のneedに近いのでしょうが、心理学ではあまり使われません。これは要求という語が一般的な日本語として様々な場面で使われるからでしょう。というわけで、欲望、欲求、要求という心理学ではほぼ同じ意味の3語のうち、ここでは「欲求」を使うことにします。
   心理学辞典(有斐閣)の項目「欲求」の最初の部分には「人間が内外の刺激の影響を受けて行動を駆り立てられる過程(動機づけ)を表す言葉の一つで,行動を発現させる内的状態をいう。要求とよばれることもある。・・・」と書かれています。「動機づけ」という過程の一部、「内的状態」が欲求であるということです。これには心理学の歴史が関わっています。

なぜ、「動機づけ」という言葉を使うのか
   20世紀の始め頃は、「…したい」という気持ちに対して、人間の行動を方向づける内側から沸き起こるエネルギーのようなものが想定されていました。フロイトの考えが代表的です。彼は、人間は生物学的に規定された本能的欲動を持つと考え、その欲動に由来する心的エネルギーをイド(エス)と呼びました(文献2)。フロイトの用語は心理学全般には定着せず、同様の概念として動因(drive)という言葉が使われました。食べ物など欲しいものが手に入らない、したいことが達成されない、といった状態が続くと動因がどんどん強くなり、達成されると動因は弱くなります。代表的な例が食欲で、目標が達成されない(食べていない)時間が長くなるほど、食べたいという気持ちは強くなります。
   「したい」という気持ちは内側から沸き起こってくる強い力のように感じますので、動因というとらえ方は自然な感じがします。しかし、現在の心理学では人気がありません。一つには、目標が達成されなくても動因が弱まることがあるからです。確かに、食欲は時間が経つほど強くなりますし食べないことには動因は弱まりません(注1)。しかし、他の欲求、例えば性的欲求でさえも、強い欲求を感じた時を過ぎれば、気持ちが収まってしまうことがあります。性的欲求なら、しばらくするとまた強い欲求を感じることもあるかもしれませんが、他の欲求なら「…したい」と一時期強く思っていても、時間が経てば嘘のように情熱がなくなるということは珍しいことではありません。このように、目標が達成されなくても動因が弱くなるのは、一つには「…したい」という気持ちは外部にからの情報(心理学の用語では「刺激」)の影響を受けるからです。サッカーのテレビ中継を見ていて「サッカーをしたい」という気持ちになり、服のディスプレイを見て「手に入れたい」という気持ちになるような場合です。その気持ちが持続する場合もありますが、忙しいとかお金がないといった理由で先延ばしすると、目標を達成できていないのに気持ちが収まってしまうことも少なくありません。
   このように今の心理学では、「…したい」という気持ちは、欲望やイド、動因というとらえ方では説明できない複雑なものだと考えられています。何かをしたいという気持ちになることを詳細に見ていけば、人の内部から出てくるだけでなく、外部にある刺激の影響を受けるとともに、認知、学習、情動といった様々な心の働きが関係しています。心理学では一般的に「行動を一定の方向に向けて生起させ,持続させる過程(有斐閣版心理学辞典)」を捉える語として動機づけ(motivation)が用いられています。

「動機づけ」と「欲求」
   Reeveは、動機づけを理解するための枠組みとして、次のような過程をモデルとして示しています(文献3, p.20)

「先行条件(Antecedent Conditions)」

「動機の状態(Motive Status)」

「したいという感覚(Sense of “Wanting to”)」

「行動・生理的反応・内省報告(Behavior・Physiology・Self-Report)」

「動機の状態」とは先行条件の影響による生理的要求(Needs)、先行条件の認知(Cognitions)、先行条件によって生み出された感情(Emotions)です。生体による先行条件の意味づけ・解釈と呼べるものでしょう。ただし、ほぼ無意識的な過程です。Reeveはいくつかの具体例を挙げています。何時間も食べていないこと(先行条件)は血糖値の低下を引き起こし(生理的要求の変化)、空腹だとか食べたいという意識(したいという感覚)をもたらします。そして、食事をしたり(行動)、すぐに食べることができなければお腹が鳴ったり(生理的反応)お腹が減ったと言ったり(内省報告)するでしょう。もうひとつ例を挙げます。「殺すぞ」といった脅迫を受ける(先行条件)と恐怖を感じ(感情)、逃げたいとか自分を守りたいという気持ち(したいという感覚)になり、実際に逃げたり(行動)ドキドキしたり(生理的反応)心配だとか怖いと言ったり(内省報告)するでしょう。
   上述のモデルの「したいという感覚」が日常用語の「欲求」にあたるでしょう。しかし、心理学の「欲求」は「動機の状態」も含んでいます。これは、心理学では動物を対象とした研究を行うので、動物に「したいという感覚」があったかどうか質問できないことと、人間であっても「したいという感覚」があったかどうかあやふやなことがあるからです。我々は何かをする時常に「したいという感覚」を持つでしょうか。他人に命じられていやいやする場合に「したいという感覚」がないのはもちろんですが、自ら何かをする場合でも「…したい」と思っているとは限りません。私たちはいつも「…したい」という気持ちになってから何かをするでしょうか。例えば、頭を掻いた後で頭がかゆいということに気付くことがあります。自分が何をしたいのかはっきりしないままぶらぶらと歩き回ることもあるでしょう。あるいは、お腹が空いたから友人とご飯を食べに来たつもりでも、友人と話をしているうちに本当にしたかったのは話をすることで食事は手段にすぎなかったと気づくというように、自分の「…したい」という気持ちを勘違いしていることもあります。ですので、現在の心理学では「動機づけ」「欲求」の説明をする時に、したいことを意識しているかどうかに焦点は当てません。心理学辞典(有斐閣)の項目「欲求」に「行動を発現させる内的状態をいう。」とありましたが、この内的状態というのはReeveのモデルの「動機の状態」と「したいという感覚」両方を意味しています。ただ、日本の心理学の教科書で「欲求」という言葉がこのような定義のもとに使われるとは限らず、欲求という言葉を全く使わなかったり、慣習的に欲求という言葉が使われてきた用語にのみ使ったり、著者の考え方に左右されているのが実情です。

「したいという感覚」
   「したいという感覚」があやふやなものであるのは確かですが、確固として感じる場合があるのも事実です。だからこそ、Reeveのモデルに取り入れられているのです。実際、私たちが普段の生活で悩むのは「食べたい」という気持ちに強く捕らわれた時や「勉強したい」という気持ちにならない時です。また、この「…したい」という気持ちは、現代社会において重要な意味を持ちます。現代社会におけるもっとも重要な原則の一つは「自由意志による決定」です。例えば百科事典(スーパーニッポニカ 小学館)の項目「自由主義」(執筆 田中浩)には「人間は何ものにも拘束されずに自分の幸福と安全を確保するために自由に判断し行動できる存在となるべきことを主張した思想である。したがって自由主義は近代民主主義思想史全体を貫くもっとも基本的な思想原理といえる。」と述べられています。政治における投票から、職業選択、結婚相手の選択等々、「自由意志による決定」であることが重要です。誰かが強制するのなら犯罪とみなされます。例えば、企業は広告など様々な手段を用いて消費者に製品を買ってもらおうとします。しかし、どんな手段を用いてもよいわけではなく消費者の「自由意志による決定」が保障されなければなりません。暴力的な強制はもちろん、マインドコントロールや催眠商法の類も強く非難されます。しかし、「自由意志」がどれほど難しい概念であるかを心理学はこれまで様々な研究で明らかにしてきました(例えば。文献4)
   「…したい」という気持ちをできるだけ尊重しようとするのが現代の自由主義社会なのに、心理学は「…したい」という心の働きに焦点を当てなくなっています。「(3)欲求を意識するとき」では、難しいのを承知で「…したい」という気持ちに焦点をあてたいと思います。


引用文献
1   待田昌二 2006  心理学における欲求概念再検討のための序説 神戸松蔭女子学院大学「研究紀要」 47,79-96
2   小此木圭吾 1989 フロイト 講談社
3   Reeve,J. 2005 Understanding Motivation and Emotion. John Wiley & Sons.
4  下條 1996 サブリミナル・マインド 中央公論社

注1    実際は時間と完全に相関しているわけではなく、他のことに集中していると空腹を忘れたり、あまりにお腹がすくと何をする気力もなくなり食欲も強く感じかないといったこともありますが、概ねあてはまるでしょう。


神戸松蔭女子学院大学心理学科   待田昌二
2014年10月