「フランツ・リスト 生誕200年」
(2011年10月1日〜10月30日)
「ラ・カンパネラ」を作曲した人として有名なFranz Liszt は、今から200年前の1811年10月22日、ハンガリー北西部ショプロンに近いライディングという町に生まれました。
今月は リストに関する資料を紹介いたします。 どうぞご覧ください。
フランツ・リスト(Franz Liszt) 1811.10.22〜1886.7.31
ハンガリーの作曲家・ピアノ奏者。ピアノの卓絶した演奏技巧を開拓、また、標題音楽の形式を確立して多くの交響詩を作曲した。作品に交響詩「前奏曲」、ピアノ曲「ハンガリー狂詩曲」など。
”リスト【Franz Liszt】”, デジタル大辞泉, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース),
入手先<http://www.jkn21.com>, (参照 2011-10-03)
音楽と音楽家 / Robert Alexander Schumann著 ; 吉田秀和訳 [請求記号:アオ/502/1]
作曲家シューマンによる“Gesammelte Schriften über Musik und Musiker” (Heinrich Simon編)より、日本における音楽評論の基礎を築いた吉田秀和氏が抜粋翻訳した本です。
リストより一歳年上のシューマンは、夫人のピアニストであるクララ・シューマンともにリストと交流していたようです。
新しい女 : 一九世紀パリ文化界の女王マリー・ダグー伯爵夫人 / D・デザンティ [著] ; 持田明子訳
289/642
ダグー伯爵夫人は、リストと別れてからダニエル・ステルン というペンネームで「ネリダ」という小説を書きました。この本はリストとの生活の暴露本のようなものと言われています。
※リストの人間関係
ピアニストとして超絶技巧で現在の芸能人のような人気を得、コンサートでは女性が卒倒することもあったようです。
女性遍歴も華麗(?)でいわゆるプレイボーイでした。
1833年にパリで知り合ったダグ―伯爵夫人との間には、後のワーグナー夫人となる、コジマが誕生しています。(コジマはリストの弟子であったハンス・フォンビューローと結婚していたのですが、ビューロを捨ててワーグナーと結婚してしまいました。)ダグー伯爵夫人との仲は1844年5月に破局してしまいます。原因はリストの派手な女性関係といわれています。
1847年にキエフにてカロリーヌ・ザイン・ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と出会いました。
3日に1回のリサイタル開催という多忙な演奏活動に疲れ果てていたリストは1847年9月にピアニストとしての最後の演奏会を行った後、彼女との共同生活に入ってしまいました。突然のピアニスト引退に世間は驚いたことでしょう。
現代の芸能人と一緒ですね。
ちなみに、リストの時代の社交界では、女性は結婚してから恋愛していたという話もありますが、子どもができたということについては少なからず世間を騒がせたようです。
サリエーリ : モーツァルトに消された宮廷楽長 / 水谷彰良著 762.37/6
リストは、モーツァルトを毒殺したという噂がある作曲家サリエリに、1822年11歳から一年間ほど週3回のペースで通奏低音やスコア―リーディング、作曲などを無料で習いました。
※同じ時期にピアノをチェルニーに師事しました。
チェルニーはピアノの練習曲集で有名な音楽家です。
チェルニー自身はベートーヴェン、クレメンティ、フンメルの弟子でした。
チェルニーのピアノ教授法については「若き娘への手紙」(1998年全音楽譜出版社) が参考になります。本学では所蔵していませんが、英語版が“Letters to a young lady, on the art of playing the pianoforte” というタイトルで出版されており、Google Booksでも閲覧できます。
Franz Liszt. Ein Europäer in Weimar / Detlef Altenburg編
Buchhandlung Walther König, Köln (個人所蔵)
リスト生誕200年を記念して2011年6月24日から10月31日まで、ドイツのワイマールで開催されいてる展覧会のカタログです。
リストの所有物、自筆などが数多く展示されています。
Mein Leben mit Franz Liszt. Aus dem Tagebuch eines Liszt-Schülers /Carl V. Lachmund
1970 G.E.Schroeder-Verlag
1882年から1884年にワイマールでリストに師事したCarl Lachmundによる日記です。
英語版は“Living with Liszt : from the diary of Carl Lachmund, an American pupil of Liszt, 1882-1884” というタイトルで刊行されているようです。Google Booksでも閲覧できます。
リストはワイマールの家で週に3回程度、毎回約10人の生徒を招いてレッスンを行っていたようです。この形式は現在ヨーロッパなどで主に夏に行われている「マスターコース」の原型になったと言われています。
リストのレッスンはレッスンというよりサークルのようなものだったようです。
「技術的なことは音楽院へ行け、私は教授ではない!」と言ったという記述もあります。(1882年5月12日の日記より)
リストの弟子にはハンス・フォン・ビューロー 、モーリッツ・モシュコフスキ 、テオドール・リテール 、カール・タウジヒ 、ゾフィー・メンター 、アルトゥール・フリードハイム 、エミール・フォン・ザウアー 、アレクサンドル・ジロティ などがいます。
リストの弟子は聴講生なども含めると400名ほどいると言われていますが、無報酬でレッスンを行っていたようです。
Der 137. Psalm 《An den Wassern zu Babylon》 / Franz Liszt (Carus-Verlag) M-L/24 (宗教センター配架)
「詩篇137番 バビロン川のほとりで」と訳されている作品
バイオリンとハープもしくはピアノフォルテ、ピアノ、オルガンもしくはハルモニウムによる伴奏という珍しい編成の女声合唱曲です。
左のページには1864年ライプチヒで出版された初版の表紙のコピーがついています。
リストは宗教曲も少なからず作曲しました。
リスト自身聖職者になることを目指し、1865年7月30日54歳の時にローマで叙階されました。
バッハ頌 : 後世の作曲家によるバッハ作品の編曲 CD/1290/15-12
リストはバッハの作品も編曲したり、変奏曲を書いたりしています。有名なオルガントッカータも編曲しています。このCDにはカンタータ 《泣き、悲しみ、悩み、おののき》 BWV12のバリエーションが入っています。
幻想交響曲 / ベルリオーズ (Hector Berlioz) CD/73
リストによりつくられた新しい音楽のジャンル「交響詩」(リスト自身にて”Sinfonische Dichtung”と名付けられた )を生み出すきっかけの一つとなった作品といわれています。
ピアノ協奏曲 第1番 / リスト (Franz Liszt) CD/74
リストによりつくられた新しい音楽のジャンル交響詩で「前奏曲」が入っています。その他有名な作品が収められています。
フジコ : あるピアニストの軌跡 DVD/16
フジコ・ヘミングの奏楽堂でのライブをもと作られた映像資料。リストの作品も収録されています。
ワーグナーとコジマ / ペーター・パツァック監督 ; ルネ・レツギュス, ティートリヒ・マック製作 VHS/1880
リストとダグー伯爵夫人の間に生まれたコジマの人生を題材にした映画。
[その他、参考資料]
リスト / 福田弥著 760.8/54/8
大作曲家の信仰と音楽 / P.カヴァノ-著 ; 吉田幸弘訳 762.8/10-B
ピアノの歴史 : 楽器の変遷と音楽家のはなし / 大宮眞琴著 760/22/3
ピアノはいつピアノになったか? / 伊東信宏編 ; 松本彰 [ほか著] 763/50
クラシックでわかる世界史 : 時代を生きた作曲家歴史を変えた名曲 / 西原稔著 762.3/26
ワーグナー / 吉田真 760.8/54/7
図説ブダペスト都市物語 / 早稲田みか文 ; チョマ・ゲルゲイ写真 080/35/145
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