神戸松蔭女子学院大学図書館 今月の展示

神戸松蔭の歩み その1 松蔭女学校の開校
 (2005年7月1日〜2005年8月31日)


 本学院は、日本の女子教育機関として最も古い伝統を持つ学園のひとつで、今年で創立112年になる。その歴史を、今後、定期的に紹介して行きたい。第1回目の今回は、松蔭女学校創立当時に関する展示である。
 本学院は、1892年(明治25)1月に、イギリス国教会の海外伝道機関SPG(Society for the Propagation Gospel in Foreign Parts)の女性宣教組織SPGレディーズ・アソシエーションによって設立された。初代校長はバーケンヘッド。宣教師であった彼女はそれに先立つ3年前、神戸に女子ミッションスクールを創設するために、イギリスから派遣されたのであった。そして、既に12年余り、神戸で伝道活動をしていたフォス司祭の指導のもと、学校開設の準備が進められていった。
 校舎は、神戸市山本通1丁目(現在の中央区北野町1丁目)の旧三田藩主九鬼(くき)隆義氏所有の土地建物を借り、1年目の生徒数は11名という極めて小規模な出発であった。
 「松蔭」という校名について、フォス司祭はSPGレディーズ・アソシエーションへの書簡の中で、「松は非常に日本的な樹木であり、慎み深さと貞節を意味します。その木の木蔭に乙女達が住み、学んでいる姿が、この名前を通して私たちが日本の人達に伝えたい学校の理念なのです」と述べている。
 当時はキリスト教排撃の風潮が強く、宣教活動にも学校経営にも困難の多い時代で、バーケンヘッド校長の苦悩は大きく、開校から7ヶ月あまりで、校長の職を辞した。10月には中山手通6丁目に校舎を移し、翌年1月、第2代校長として、K.M.モーラーが着任した。当時の授業は国語、作文、習字などのほか、英語は読み方、書き方、解釈が英語で教授される一方、裁縫に力を入れ、実用にも重きが置かれた。また、福音伝道を目的とするミッションスクールとして、聖書の授業と礼拝は毎日行なわれた。
 リナ・J・オーヴァンズが第3代校長となった1896年(明治29)頃からは、徐々に世間に認められ、生徒数も増え始めた。そして、1899年(明治32)8月、私立学校令が公布され、12月16日に各種学校としての認可を受けた。   

校史編纂委員 国文学科教授 田中まき





*「神戸松蔭歴史コーナー」(カウンター横の棚)も合わせてご覧ください。