神戸松蔭女子学院大学図書館 今月の展示
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ハーンといえば、「雪女」「耳なし芳一」などの怪談で有名ですが、神戸に住んでいたことがあります。知っていましたか?「神戸クロニクル」新聞社の記者として、2年間勤務していたのです。 彼が「神戸クロニクル」に書いた論説を収めた「バレット文庫」のマイクロフィルムを、本学図書館は、バージニア大学図書館より寄贈を受けて所蔵しています。 この「バレット文庫」に関連して、今回NHK松江放送局やネット上の兵庫文学館の取材を受けました。 (解説は元本学教授の眞貝義五郎先生です。兵庫文学館の記事より転載しています。)
ラフカディオ・ハーンは、日本で暮らした十四年間に「怪談」「骨董」「心」はじめ伝承、民話からの再話文学など多くの作品を著し、日本と日本人の心を世界に紹介したのち、東京で没した。 米国での青年時代、敏腕の新聞記者として名を上げたハーンは、四十歳で来日して、松江、熊本では英語教師のかたわら、民俗学的著作も出版、そののち神戸を経て東京大学に移り、英文学を講じて日本英語学の草分けともなった。 ハーンが一家で神戸へ移住して来たのは日清戦争最中の明治二十七年暮れ。ジャーナリストに戻ったハーンは、英字紙「神戸クロニクル」新聞(注1)を舞台に戦争評論などに健筆を振るい、神戸では日本の他都市では見られない特別な活動を続けた。市民生活の面でも、在住二年間の神戸は、ハーンが帰化して日本人の「小泉八雲」に生まれ変わるという特別の地であった。 ハーンが「神戸クロニクル」紙で執筆した論説記事のうち、紙面掲載後、ほぼ百年を経てようやく日の目を見た『バレット文庫』版収録の「神戸クロニクル論説集」(注2)がある。 (注1) 英字紙「神戸クロニクル」新聞=The Kobe Chronicle 。明治二十四年(1891)、イギリス人ロバート・ヤング(Robert Young)が神戸で創刊した日刊英字新聞。当初は神戸市栄町一丁目七番地で発行、のち浪花町へ移転。 (注2) 「神戸クロニクル論説集」=ハーンが「神戸クロニクル」紙に執筆したとされる論説記事の収集は、ハーンの死後十六年の大正九年(1920)ころ、長男の小泉一雄とハーン生前の友人マクドナルド(Mitchell Charles McDonald, 1853 - 1923)が、ヤング社長立会いで、ハーン執筆と確認して収集したものが第一次「神戸クロニクル論説集」とされ、四十八編。ついで、二度目の調査がハーン愛好家のパーキンス(Percival Perkins,1897-1963)によって昭和十六年(1941)に行われ、四十一編が収集された。調査収集された原稿は三部作成されたが、戦災などを免れたものが『バレット文庫』版として、アメリカのヴァージニア大学で保存されていた。 第一次「神戸クロニクル論説集」四十八編は、すでに昭和三年(1928)、第一書房刊『小泉八雲全集第17巻』で和訳、出版されていた。『バレット文庫』版四十一編は、その所在がわかりながら、入手できずにいて、ハーン研究者の間では、ずっと“幻の論説集”とされてきた。神戸松蔭女子学院大学が松江の「八雲会」の希望を受け、米国の提携大学を経て、ヴァージニア大学保存の『バレット文庫』がマイクロフィルム化されるを待って、七巻の提供を受け、英文、和訳合わせて研究叢書として平成四(1992)年出版、さらに、翌々平成六(1994)年、ハーンの「来神百周年」を記念してのイベントが行なわれたのを期として、一般書の「『バレット文庫』版・神戸クロニクル論説集」が恒文社から出版されたものである。 解説 眞貝義五郎(しんかい・よしごろう)
1926年新潟県生まれ東京大学文学部仏文学科卒業 元・毎日新聞社編集委員 元・神戸松蔭女子学院大学教授 ※『バレット文庫』版四十一編は、その所在がわかりながら、入手できずにいて、 ハーン研究者の間では、ずっと”幻の論説集”とされてきた。 神戸松蔭女子学院大学が松江の「八雲会」の希望を受け、米国の提携大学を経て、ヴァージニア大学保存の『バレット文庫』がマイクロフィルム化されるを待って、七巻の提供を受け、英文、和訳合わせて研究叢書として平成四(1992)年出版。 今回展示しているのは下記の6冊です。
Clifton Waller Barrett Library Lafcadio Hearn collection ; Roll 5
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