神戸松蔭女子学院大学図書館 今月の展示

漢語辞書から漢語都々逸へ (2004年4月23日〜5月14日)

日本では、当代の文章を読むために利用する読解辞書は江戸時代の末期になるまで編集されることがなかった。1字1字の漢字の意味を調べるための単字辞典は平安時代からあり、また書くときにどのような漢字を使えばよいかを調べる表記辞典も昔からあった。室町時代から江戸時代にかけて節用集と名づけられた表記辞典が数百種も出版されている。そのような状況のなかで当代語辞典は幕末になってやっと現れた。

その契機の1つは、維新政府が情報公開に踏み切って、官報とも言える『太政官日誌』や『行在所日誌』を出版したこと、および欧米のニュースペーパーの影響で新聞紙が発刊されたことにある。 島崎藤村の『夜明け前』の第2部上巻第3章に「大坂西本願寺には各国公使を待ち受ける人達が集つた。醍醐大納言(忠順)は大坂の知事、乃至は裁判所総督として。宇和島少将(伊達宗城)はその副総督として」とあるのは、『太政官日誌』第1号の冒頭記事を後に利用したものである。当時の人びとは新政府の動向が知りたくて、この種の日誌を読もうとした。しかし、難解な漢語が多くて読めない人が大勢いた。そこで、日誌類を読解するための辞書として『新令字解』(慶応4年1868年6月刊)が出版された。また、新聞紙にも内乱の戦況を初めてとして種々の情報が満載であったが、用語が難しく読めない人が予想されたので、『内外新報』では読解辞書、『内外新報字類』を附録として付けた。これらの辞書の刊行後、いろいろな名称の、多様な形態の漢語辞書が現れた。振り仮名の最初の仮名のイロハ順、熟語の頭字の総画数順や、部首順などさまざまである。書名には『日誌必用御布令字引』『布令字弁』『内外新聞画引』『漢語字類』『世界節用無尽蔵』『布令必携新聞字引』など。増補改訂本も、『増補新令字解』『増補布令字弁』『増補漢語字類』など、また多い。

漢語辞書を更に啓蒙的に絵入りにした漢語辞書も編集された。『漢語図解』では、「巨賊」の図解に親分を子分より大きく描くなど、冗談が過ぎると思えるほどに和らげた場合もあるが、当代の漢語に多数の人が関心を寄せれば、それはそれで成功であった。 かくして爆発的に発刊された漢語辞書群は漢語都々逸まで出現させた。漢語辞書から「お題」を1語、または2語もらって、それらの漢語を語釈とともに都々逸に読み込むのである。江戸文化と文明開化の狭間で見られた漢語流行の一現象である。

(国文学科 松井利彦)