神戸松蔭女子学院大学図書館 今月の展示

「中原淳一生誕100周年」
 (2013年6月1日〜2013年6月29日)

音楽が好きで、読書が好きで、
詩が好きで、
優しくて、
ちょっぴりおしゃれの少女が 
たくさんいてほしかったのです。
[エッセイ『ひまわり』の頃 中原淳一著,中原淳一:少女雑誌『ひまわり』の時代,p.117 内田静枝編,東京:河出書房新社,2011.9]

美しく生きることを伝え続けたアーティスト

大きな瞳、夢見るまなざし、絶妙なしぐさや表情…  中原淳一 (1913-1983) は、その詩情あふれる絵で少女たちを魅了し、画家、編集者、デザイナー、プロデューサーと、多彩な仕事を通して常に「美しいこころと暮らし」を問いつづけました。日本中の女性に美しくなってほしい。その情熱は戦前ー戦後と時代の変動の中で、女性たちの感性を上手にリードしていったのです。 今年2013年は、中原淳一の生誕100周年にあたります。彼の仕事とその時代を振り返り、美のエッセンスに触れてみませんか?

[展示資料]

[新聞広告] 少女の友八月号 読売新聞 1934年7月8日
昭和7(1932)年3月に松屋銀座で開いた創作人形展がきっかけで、同年6月号、淳一は19才で『少女の友』の挿絵画家としてデビューします。専属画家として活躍し始めた頃の新聞広告。

『少女の友』 創刊100周年記念号 明治・大正・昭和ベストセレクション 実業之日本社編  [請求記号: 051/62]
『少女の友』は、「少女にこそ一流のものを」をモットーに明治〜昭和と48年続いた伝説の少女雑誌。淳一は、昭和10(1935)年1月号より表紙絵を担当し、看板画家として人気を博しました。創刊100周年記念号では、淳一が描いた全表紙、凝りに凝った付録や傑作記事を解説付きで一挙掲載。

乙女の港 川端康成著  中原淳一画 [請求記号: 913.6/1107/2]
淳一が挿絵を担当した川端康成著「乙女の港」完全復刻版。昭和12(1937)年『少女の友』にて連載され、一大ブームを起こしました。

少女の友コレクション  中原淳一の「女学生服装帖」 中原淳一著  [請求記号: 589.2/182]
淳一が初めて連載したファッション・エッセイ「女学生服装帖」。先見性に富んだ服装批評や楽しいアイデアで、和服から洋服への過渡期にあった少女たちのおしゃれを導きました。エッセイ、解説をまじえ、当時の世相も辿れる復刻版。カラーのスタイル画に言葉をそえた人気付録「スタイルブック」も。

「僕に”理想の少女”というものを選ばせたら、正しい美しい心の少女であると共に、外にあらわれた服装や身だしなみにもキチンとした 少女らしい心を配っている人であることが大切な条件ではないかと思っています。」
中原淳一の「女学生服装帖」P.11 女学生服装帖 中原淳一・南由紀子 昭和12年5月号より

中原淳一 少女雑誌『ひまわり』の時代 内田静枝編 [請求記号: 726.5/41]
少女のみだしなみ、周囲を美しく、詩心を抱いて…など、物資や住居が潤沢でなくても、美しく暮らす智慧やアイデアを具体的に提案した雑誌『ひまわり』。淳一のメッセージを7つのレッスン形式で総覧できます。

「抒情画異変 少女雑誌の表紙に警告」 読売新聞 1940年4月27日
昭和15(1940)年、軍部の圧力により淳一は6月号をもって『少女の友』から降板。淳一の絵が「病的」「不健康」との理由でした。編集部は看板作家と多くの読者を失います。同年6月、淳一は初めてのスタイルブック「きものノ絵本」を刊行、11月には元宝塚男役スターの葦原邦子と結婚。

[家庭短波] 「廃物で可愛い造花」 読売新聞 1946年9月27日
新聞にもおしゃれアイデアを寄稿。

[広告] 「ソレイユ創刊夏号」 読売新聞 1946年6月25日
戦争が終わるとすぐ、淳一は自ら「ヒマワリ社」を設立しました。焼け跡で暮らす人々を見て、“ほんとうの意味で美しい暮らしを知る本を作りたい”と、昭和20(1946)年に婦人雑誌「それいゆ」、翌22(1947)年に少女雑誌「ひまわり」を創刊。スタイルブック、ブラウス集なども相次いで出版しました。

「美人画の中原淳一氏 再起して月刊誌創刊」 朝日新聞,1970年4月22日
創刊記念のつどいを伝える記事。第一号の特集は「しあわせとは」。

あなたがもっと美しくなるために 中原淳一著  中原蒼二監修  [請求記号: 589.2/183]
淳一が、東京新聞に2年間にわたり連載したエッセイをまとめた昭和33(1958)年刊が原本。本当のおしゃれとは、一つしかないオーバーをおしゃれに着続ける方法、美しさを生む心遣い、色の使い方… 女性が女性として生きていく上での基本的なエチケット、心構えが語られています。

「あなたがた一人々々が、自分をもっと美しくしようと考えて、ほんの少しでも努力して心がけてゆけば、 結局はそれが日本中を美しくする…ということになるのです」
「あなたがもっと美しくなるために」p.1より

七人のお姫さま おもいでの童話の絵本 中原淳一著・挿画装幀 [請求記号: J-A/574]
淳一は、感性豊かな少女時代に一流の作品にふれ、女性として豊かな人生を送ってほしいと願っていました。自分の絵が名作への入口になるように、古今東西の名作に挿絵を描いています。

「フランスのお友達」 朝日新聞 1952年11月12日
「中原淳一ファッション・ショウから」読売新聞 1951年7月27日

自身の雑誌のほか、新聞・ラジオにも出演し、超多忙を極めた淳一は、昭和26(1951)年にパリへ移住。帰国後、初のファッションショーを開催。昭和29(1954)年には新しい少女雑誌『ジュニアそれいゆ』創刊。

「美人画の中原淳一氏 再起して月刊誌創刊」朝日新聞,1970年4月22日
創刊記念のつどいを伝える記事。第一号の特集は「しあわせとは」。

昭和34(1959)年、淳一は仕事中に脳溢血で倒れ、『それいゆ』『ジュニアそれいゆ』も廃刊となってしまいます。10年にわたる療養生活を経て、昭和45(1970)年『女の部屋』を創刊。新しい時代に挑戦するも体調が戻らず5号で終刊、淳一が最後に手がけた雑誌となりました。

中原淳一の人形: 人形への熱き想いと作り方のすべて REED [ほか] 編 [請求記号: 759/24]
療養生活の中で淳一が制作したのは、古着や紙切れ、麻紐など、生活のなかにある材料から生み出された男の人形でした。初めての人形展から晩年まで約50年間に制作した人形作品、作り方を紹介した人形帖、人形の登場する絵やエッセイを収録。

スーヴェニール: 中原淳一画集 中原淳一著 [請求記号: 726.5/25]

女性を美しくする言葉 中原蒼二構成・ 監修・デザイン [請求記号: 159/150]

中原淳一の世界 (展覧会カタログ)中原蒼二監修  [個人蔵]

(図書館)