第1回
(NO3)
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大学 国文学科二回生 佐々木育子(山藤)
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メキシコの旅、もう一つの目的は謎につつまれた「マヤ文明」です。ヨーロッパの人々がその足跡を発見した時には、すでにマヤ人達は姿を消していた・・・ |
目指すは”エル・カスティージョ”のピラミッドです。底辺55メートル四方、高さ23メートルの神殿のある頂上まで階段を一気に登ります。このピラミッドは「ククルカン(羽毛の蛇)のピラミッド」とも呼ばれ、4面に“91段”の階段があり、4×91=364、それに基底の1段を合計すると365日と1年の日数となります。また9層に分かれているピラミッドは各面の中央階段により2つずつに分けられ、何と!「1年が18ヶ月のマヤ暦」を表しているのです。 |
階段両側の縁石の下には大きく口を開けた蛇の頭の彫刻があり、毎年「春分」と「秋分」には夕方4時頃、沈みゆく夕日をうけて蛇頭のある縁石が胴体に見え、羽の形の影が出来るとまるで蛇の銀色の鱗が動いているように見えるのだと留学生が教えてくれました。 |
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しばらく行くとらせん状の階段があり、遠くから見ると”かたつむり”に似ているので「カラコラル(かたつむりの意)」と名付けられた天文台がありました。マヤ民族は天体の位置に精通していて金星の動きまで肉眼でキャッチしていたそうです。暦(こよみ)を神としたマヤ民族、9世紀頃、歴史から消えていった幻の文明を多くの遺跡が物語っていました。 |
Merida滞在最後の日曜日はエルビラ邸でメリダ市民との「お茶会」でした。当日、エルビラ邸の広いリビングにメリダ市民の老若男女30名が集いました。 |
薄茶を飲み終わった人から質問が飛び出します。抹茶は何から出来ていてそのパウダーの作り方は? 茶筅の材質は何?どうしたらその形に作れるのか? 等々で 何故、日本人は「お茶会」をするのか?の質問には、【お茶を点てる人とお茶をいただく人がお互いに尊敬し合い、日本の四季を楽しむこと】と一生懸命に通訳してくれました。 |
エルビラは何度かお稽古したので点てたお茶の「お運び」を手伝ってくれましたが、彼女の顔つきがすっかり”お茶人”になっていて、歩き方も思いのほか
“しずしず”
とすり足になっていたのには驚き、客人達も目を見張っていました。全ての人が薄茶をのみ終えた時、熱心に点前を見つめていた一人の女性が私に歩み寄り感激のしぐさで抱きしめて「ボニータ!ボニータ!(美しい)グラッシアス」といいながら、彼女の大きな瞳はウルウルと潤んでいました。 |
Merida滞在最後の夜、今夜はMeridaで年に一度のカーニバルの日です。カーニバルに行く前に留学生と共にソカロでダニエルと待ち合わせて、彼のママも一緒に彼の叔母さん”ピラル”の家に遊びに行きました。 |
“タマル” という「ユカタンちまき」のお菓子は、トウモロコシをこねてバナナの葉で包んで蒸したもので日本の”ういろう”のように美味でした。“パヌーチョ”
はトルティーアの中に豆、鶏肉、トマト、アボガド、を入れてトマトソースをかけて食べ、トルティーアを揚げた”ポルカン”はおかわりするくらいとても美味しいでした。 |
夜はモンタホ通りでパレードがあるのでテルノ(ユカタン民族衣装)を着てカーニバルに行くのだと華やかな美しい衣装を見せて「良かったら着てみない?」とピラルは言い、私は髪にも真っ赤な花を飾ってもらい、時を忘れてステップも軽やかに ? ハラナダンスを踊ったのです。ダニエルママは私の為に一日中街を歩いて探し、買い求めたというユカタン地方の真っ白いロング・ショールを肩に掛けてくれました。 |
幸せに満ちた時を過ごした後、“別れ”が近づいていました。ダニエルが一枚のポスト・カードを手渡してくれました。 そこには”日本語”で 「メリダにきてくれてありがと。無事に日本に戻れることを祈ります。すぐに帰ってきて下さい。ダニエルと家族より」 |
午後のひとときを過ごしたピラルの家族との別れがこれほど辛いとは・・・そして、ダニエルパパが車で迎えに来てくれ、パレードのあるモンテホ通りまで送ってくれました。街角でいよいよダニエル一家とお別れの時には、みんなの顔があふれる涙のベールでかすんでいました。そして何度も何度も振り向き、手をあげて強くうなずき合いました。 |
年に一度のカーニバルで魅惑的な音楽と華やかな踊りのパレードを見ることが出来たのは本当にラッキーでした。その夜は長く、私達の帰宅を待っていたエルビラ一家とのふれあいの時は終わりがありませんでした。 |
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最終章 |
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(NO1)
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