第1回

          

             (NO3)

 

                    

       

       大学 国文学科二回生 

              佐々木育子(山藤)

 

  

 

 メキシコの旅、もう一つの目的は謎につつまれた「マヤ文明」です。ヨーロッパの人々がその足跡を発見した時には、すでにマヤ人達は姿を消していた・・・
 
翌日、考古学科の留学生が休講になったので世界遺産「チチェン・イツア遺跡」に行こうとガイドをしてくれたのです。遂に密林に消えたマヤ人の残した遺跡巡りです!
 メリダのバスターミナルから一等バス(ノンストップ)に乗り約2時間、入口には観光バスが15台くらい並びアメリカ、カナダはもちろんヨーロッパからの観光客がほとんどでした。プロのガイドがツアー団体各国の言葉で案内をしているので英語の団体にくっついて歩くと彫刻の意味なども少しわかり、考古学専門の学生ガイド付きで最高のツアーとなりました。

 目指すはエル・カスティージョのピラミッドです。底辺55メートル四方、高さ23メートルの神殿のある頂上まで階段を一気に登ります。このピラミッドは「ククルカン(羽毛の蛇)のピラミッド」とも呼ばれ、4面に“91段”の階段があり、4×91=364、それに基底の1段を合計すると365日と1年の日数となります。また9層に分かれているピラミッドは各面の中央階段により2つずつに分けられ、何と!「1年が18ヶ月のマヤ暦」を表しているのです。

                                              

 階段両側の縁石の下には大きく口を開けた蛇の頭の彫刻があり、毎年「春分」と「秋分」には夕方4時頃、沈みゆく夕日をうけて蛇頭のある縁石が胴体に見え、羽の形の影が出来るとまるで蛇の銀色の鱗が動いているように見えるのだと留学生が教えてくれました。
 今年の秋分の日にもあのククルカン(羽毛の蛇)は夕陽をあびてきっと美しく輝いたことでしょう。

            

 しばらく行くとらせん状の階段があり、遠くから見るとかたつむりに似ているので「カラコラル(かたつむりの意)」と名付けられた天文台がありました。マヤ民族は天体の位置に精通していて金星の動きまで肉眼でキャッチしていたそうです。暦(こよみ)を神としたマヤ民族、9世紀頃、歴史から消えていった幻の文明を多くの遺跡が物語っていました。
 肉眼で正確な暦の計算をしていたマヤ民族の素晴らしい視力知恵に感嘆しつつ遺跡ロマンを満喫した私はチチェン・イツアを後にしたのでした。

 

  Merida滞在最後の日曜日はエルビラ邸でメリダ市民との「お茶会」でした。当日、エルビラ邸の広いリビングにメリダ市民の老若男女30名が集いました。
 静寂の中、薄茶点前が始まり客間はもはや「茶室」と化していました。最初に通訳の学生が「お茶とお菓子のいただき方」を説明し、
お先にがやはり皆さんお気に入りの様子で、お年寄りから子どもまで楽しそうに隣の人にお辞儀でご挨拶です。エルビラの息子マリオは挨拶を忘れた人にアドバイスをしてくれ、彼が茶碗を持つと緊張の糸がピーンと張っている様でした。

 薄茶を飲み終わった人から質問が飛び出します。抹茶は何から出来ていてそのパウダーの作り方は? 茶筅の材質は何?どうしたらその形に作れるのか? 等々で 何故、日本人は「お茶会」をするのか?の質問には、【お茶を点てる人とお茶をいただく人がお互いに尊敬し合い、日本の四季を楽しむこと】と一生懸命に通訳してくれました。
 和やかな中にも熱気が漂うMexicoとJaponの交流のひとときでした。

エルビラは何度かお稽古したので点てたお茶の「お運び」を手伝ってくれましたが、彼女の顔つきがすっかりお茶人になっていて、歩き方も思いのほか しずしず とすり足になっていたのには驚き、客人達も目を見張っていました。全ての人が薄茶をのみ終えた時、熱心に点前を見つめていた一人の女性が私に歩み寄り感激のしぐさで抱きしめて「ボニータ!ボニータ!(美しい)グラッシアス」といいながら、彼女の大きな瞳はウルウルと潤んでいました。
 文化交流に言葉は要らない、「茶道の心」は確かに国境を越えた、と全身で感じました。

 Merida滞在最後の夜、今夜はMeridaで年に一度のカーニバルの日です。カーニバルに行く前に留学生と共にソカロでダニエルと待ち合わせて、彼のママも一緒に彼の叔母さんピラルの家に遊びに行きました。
 タクシーが着いたのは郊外の小さな民家で、メキシコらしい深いブルーの壁紙の客間に入ると18才&12才の息子が笑顔で迎えてくれました。陽気で料理上手なピラルの手料理でランチタイムを一緒に楽しみ、よくおしゃべりをし、そして笑いました。

       

  タマル”  という「ユカタンちまき」のお菓子は、トウモロコシをこねてバナナの葉で包んで蒸したもので日本のういろうのように美味でした。“パヌーチョ はトルティーアの中に豆、鶏肉、トマト、アボガド、を入れてトマトソースをかけて食べ、トルティーアを揚げたポルカンはおかわりするくらいとても美味しいでした。
モーレというチョコレートの入ったチキンカレーは、チリの辛さとチョコの甘さが生み出した衝撃的な味です。ピラルは心からMexico料理でもてなしてくれたのです。

 夜はモンタホ通りでパレードがあるのでテルノ(ユカタン民族衣装)を着てカーニバルに行くのだと華やかな美しい衣装を見せて「良かったら着てみない?」とピラルは言い、私は髪にも真っ赤な花を飾ってもらい、時を忘れてステップも軽やかに ? ハラナダンスを踊ったのです。ダニエルママは私の為に一日中街を歩いて探し、買い求めたというユカタン地方の真っ白いロング・ショールを肩に掛けてくれました。

  

 幸せに満ちた時を過ごした後、“別れ”が近づいていました。ダニエルが一枚のポスト・カードを手渡してくれました。 そこには日本語

「メリダにきてくれてありがと。無事に日本に戻れることを祈ります。すぐに帰ってきて下さい。ダニエルと家族より」
 とむつかしい〜と言っていた漢字、カタカナ、ひらがなで書かれていました。
 私は「グラッシアス!」の言葉も声も出ません。ダニエルの胸の中でただ小さく何度もうなずきました。髪をやさしく撫でながらダニエルが「グラッシアス・・・」何度も言ってくれました。

 午後のひとときを過ごしたピラルの家族との別れがこれほど辛いとは・・・そして、ダニエルパパが車で迎えに来てくれ、パレードのあるモンテホ通りまで送ってくれました。街角でいよいよダニエル一家とお別れの時には、みんなの顔があふれる涙のベールでかすんでいました。そして何度も何度も振り向き、手をあげて強くうなずき合いました。
「又会える、きっと会える!それまで元気でね・・・」
                         

   

  年に一度のカーニバルで魅惑的な音楽と華やかな踊りのパレードを見ることが出来たのは本当にラッキーでした。その夜は長く、私達の帰宅を待っていたエルビラ一家とのふれあいの時は終わりがありませんでした。
 翌朝、爽やかな風の中エルビラ邸を後にして、私が乗ったカンクン空港に向かうバスは過ぎ行くメリダの風景を走り抜けてゆきます。出会った素敵な人達の顔を思い浮かべながら、メリダの街に別れを告げます。
 
大きな【心の交流がいっぱい詰まった】宝箱を抱えてメキシコの地に
“アディオス!そしてグラッシアス!”

           

                         

      最終章
 

 

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