第1回

          

             (NO1)

 

                    

       

       大学 国文学科二回生 

              佐々木育子(山藤)

 

  

 日本の伝統文化である「茶の湯」は 本来、喫茶(お茶を飲む)という行為をともなう時間の流れの中にあります。人を招き、一服の茶を点ててもてなす。このひと時は 気楽に語り合って過ごすこともできれば改まった、二度とめぐってこない貴重な一会として過すこともできます。            

 松蔭大学での4年間を茶道部に在籍していた私は今年2月、メキシコのユカタン半島にあるメリダという街を訪ね、ユカタン自治大学の学生とメリダ市民に「茶道」を紹介する旅に出かけました。

 ユカタン半島はエメラルド色に輝く世界一美しいカリブ海、チチェン・イツァーやウシュマルなどマヤ文明の遺跡の数々で知られています。今回ユカタン半島にある空港カンクンまでは一人旅でしたが、多くの人々と出会い素晴らしい体験連続の旅となりました。 伊丹ー成田ーダラス経由ーカンクンと言う行程でしたが成田を飛び立ちダラス到着まで約13時間をアメリカン機内で隣合わせた青年と過ごすことになりました。旅の最初の出会いでした。機内で色々と気遣ってくれるので自然に会話が弾み楽しい旅の始まりでした。

 青年はダラスから国内線でアメリカ国内の州へ仕事に行くと言い、「貴女がメキシコへ国際線に乗り継ぐまではご一緒しましょう」と少しはにかみながら笑顔で約束してくれました。

 13時間は瞬く間に過ぎ、アメリカン機は北太平洋を渡りロッキー山脈を越えてダラス空港に到着しました。 私は青年と共に足早に空港内を走り抜けて手続きを済ませました。搭乗手続きが無事に終わった時、青年との別れでした。爽やかな笑顔で「楽しい旅をつづけて下さい」と会釈して青年は国内線ゲートへと去っていきました。機内の会話でお互いの話をしながら、ふと「なかなか良い出会いがなくて未だ独身なんです。」照れながらそう言った青年の横顔が今も思い出されます。
青年との出会いで、不安だったダラスの乗り継ぎ(2時間しかなく)も無事に出来、一路「カンクン空港」へ向かったのです。

  2時間半のフライトでカンクンに到着した私は一人身の身軽さでメキシコ入国を一番に済ませました。2月なのに、そこはもはや夏風の薫りが漂い、ユカタン大学留学生が熱い歓迎をしてくれました。ホテルに落ち着いた時は成田を出て20時間が経過していました。

 翌日は早速ビーチに出かけ”カリブの太陽”を思いっきり身体中に受けたのです。今や世界的なビーチリゾート「カンクン」はアメリカ、カナダからの観光客が多くまだ”日常英会話”が通じる場所であることに安堵をおぼえました。大通りでタクシーのように手を挙げて路線バスに乗り込みチャックモールビーチ(フリービーチ)に行き、目前に広がるエメラルド色の海に思いきり身をゆだね、大きく押し寄せる波と戯れ、時を忘れて過ごしました。

  翌日、バスで4時間一路目的地「メリダ」に向かったのです。ユカタン大学の留学生と共にホーム・ステイすることになった「セニョーラ・エルビラ」の館は閑静な住宅街にありました。通称「ラテン・アメリカ公園」という大きな公園の側でした。セニョーラ・エルビラは夕食を用意して私達の到着を今かと待ってくれていました。

 メキシコの初「家庭料理」はユカタン地方の「コチニータ・ピピル」と言う唐辛子、バナナの葉、酢で調味した豚肉の煮込み料理とア・ロース・ママリージョというサフラン・ライスでデザートの大きなパパイア共々大変美味でした。今後の食事に期待がふくらむ素晴らしい歓迎の夕食でした。メリダはユカタン州の州都で人口五十万、ユカタン半島全域の政治、経済の中心地です。白い都と呼ばれるだけあって街の建物は白く清潔で、街を行く人も白い服装が多いように思いました。日中は緑の街路樹が強烈な灼熱の太陽でくっきりと白い街路に影を落として目まいを感じるようでした。

 メリダの人々はオーラン病院に滞在してこの地に足跡を残した「野口英世博士」に強い感銘を受け日本への関心は非常に高いのです

いよいよ”merida”での生活が開始しました。

   --- 次回につづく---