2008年6・7月号 

「卒業生のみなさま お元気ですか?」


卒業生のみなさまお元気ですか?はやいものでもう6月になりました。昔から日本では6月になると衣替えをしました。それも温暖化のせいでしょうか、5月中旬に札幌で30度を超した日があったり、すでに日本のあちらこちらで夏日の日が何日か観測され、半袖が当たり前のようですね。春は一足飛びで過ぎてしまいました。きれいに分かれていた日本の四季も少しずつくずれてきたように思います。

5月2日にミャンマーではサイクロンに直撃され大変な被害を受けました。中国四川では5月12日に未曾有の大震災が起こり、想像を絶する災害で多くの方が亡くなられました。今なお、復興に程遠い被害者の方々のニュースを聞くたび、自然災害の前ではいかに人間が無力かを思い知らされ深い悲しみに包まれます。心からお見舞い申し上げます。

暗いニュースが続くなか、5月22日に万葉集の歌が書かれた木簡が見つかったと発表されました。信楽町にある宮町遺跡(奈良時代に聖武天皇が造営した紫香楽の宮跡とされる)から出土した木簡から万葉集巻16に収録された「安積山の歌」が書かれていたとのことです。万葉集巻16は約400年後の写本しか残っておらず、木簡は同時代の画期的な資料になります。同時に見つかった「難波津の歌」とともに、古代の歌の父母のように始めに習うと記され、手本とされている歌でした。  

  難波津に咲くや木の花冬こもり今は春べと咲くや木の花

  安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思わなくに

二つの歌とも万葉集にあるような訓読みの漢字ではなく、日本語の一音を漢字1文字で表す万葉仮名で書かれており、これは一説には天皇の前で朗々と歌いあげるときに詠み間違いのないように、万葉仮名かなで書かれたのではないかということだそうです。いずれにしても木簡の捨てられていたのが744年から745年ころの天平の時代だそうで、どうして捨てられていたのか、心ときめく発見です。 

 万葉集が好きだった母は、私が大学時代に使っていた教科書の万葉集をずっと持ち歩き講義に通っていました。持病もなくいつも元気で風邪をひいてもすぐに治り、ふだんから病院に通うことがなかったのです。その母が腰痛で動けなくなり始めて救急車をお願いする羽目になりました。診断は圧迫骨折とのことで、年齢から特別な治療はしてもらえず、痛み止め投薬とコルセット装着指導が治療でした。入院生活に慣れない母は食事をとらず、あっというまに脱水状態になり歩けなくなりました。脱水からの嘔吐、その誤嚥がもとで肺炎になり、救急車で運ばれてから1ヶ月も経たないうちに亡くなりました。日ごろからかかりつけの病院があればまた事情もかわっていたかもしれません。自分の健康を守るのは病院でも医者でもなく自分しかないと実感しています。

 まだ四季がはっきりしていた時代、季節ごとの行事やしきたりを教えてくれた母は私が小さいころよく鼻歌を歌っていました。童謡であったり唱歌であったりでしたが、その甲高い声にときには耳をふさいだものでした。記憶のあるころから次々と本を読み聞かせてくれ、想像の世界を教えてくれました。元旦には家族で百人一首をするのが恒例で母が朗々と歌を詠みあげ、いちばん札をとったのも母でした。節分には豆まきをし、ひなまつりはいつもちらし寿司を作ってくれ、お月見では手をべとべとさせながら丁寧におはぎを作りお祭りしたものでした。クリスマスには部屋中をツリーやデコレーションで飾り、ケーキは父が2日間買ってきてくれました。

 やがて父が逝き、兄弟も巣立ち、私と母の二人になった年の節分の日、母が豆を炒り、豆まきをしてくれといいます。仕事から帰宅したばかりの私は、そんなものまいたらごみになるからやめたほうがいいよと、邪険に断りました。その年末大掃除をしていたとき、家具の後ろにいれた掃除機からコロコロとなにか入ってきます。みると節分にまく炒った豆で、母が一人で豆まきをしていたようでした。何年も前のことです。晩年はときには旅行もともにし、食事や買物にも楽しそうについてきていつもやさしい顔をし、おだやかな生活をしていましたが、桜が見事に満開の日に突然逝きました。時間が戻ってくれたらとどんなに願ったことでしょう。

 今もご両親、あるいは父上様、母上様がご健勝の方、どうかやさしく、大事にしてあげてください。

6月28日は大学の東側学生食堂で学年幹事会が催されます。その後、今年春に竣工した千と勢サロンを見学する予定です。子ども発達学科の入っている学舎でとてもかわいい建物になっています。学年幹事の方はぜひご参加お待ちしております。  

 難波津に咲くや木の花冬こもり今は春べと咲くや木の花

  訳:難波津に梅の花が咲いています。今こそ春が来たとて梅の花が咲いています

 安積山影さえ見ゆる山の井の浅き心を我が思わなくに

  訳:安積山の影までも見える澄んだ山の井のように浅い心で私は思っておりませぬ。

    (「新編日本古典文学全集」より)